ついに川俣にも地デジです2013年12月11日 02:41



 テレビのアナログ放送が終了してから早2年あまり。これまで日光市の旧栗山村地区では、衛星放送による難視聴対策にてテレビが視聴されていましたが、栗山の最奥部である川俣地区にもついに地デジの電波が到達しました。
 思えばアナログ放送時代から山また山に囲まれた栗山村では、受信アンテナの目の前に2000m級の日光連山が聳え立ち、『なんでこんな環境でテレビ電波が受信できるんだ?』とテレビが映ること自体不思議でなりませんでした。
 これは東京タワーから発射されていた電波の周波数が、VHF帯(30MHz~300MHz)という、高周波信号としては比較的低い周波数のため、回折現象による回り込みによるところが大きかったのですが、デジタル放送になって周波数帯がUHF(300MHz~3000MHz)に変わってからは、回折が起こりにくくなり、難視聴に追い打ちをかけていました。

 そんな栗山村ですが、個別の受信点を確保することは非常に困難であり、それこそ赤薙山や女峰山あたりで受信するしかないのでは?くらいな勢いだったのですが、そんな場所では工事もメンテも容易ではありませんので、最終的にとった工法は、はるか藤原から光ファイバーを延々と引っぱってくることでした。
 光ファイバーを引っぱってくる、と言葉でいえば簡単なのですが、総延長約50km、施設区域は日光国立公園第二種特別地域やら国有林野やらダム流域やら、それはもう規制のオンパレードで、結局事業の計画から調査設計、申請手続き、現地工事、竣工まで、実に5年以上の歳月を要しました。
 それほどの難工事、川俣温泉の組合長様宅で地デジが映った瞬間は、本当に感無量でしたねぇ。『まさかあの川俣で地デジが見られる日が来るとは、、、』

 もちろんこの工事はワタクシ1人でやったわけではなく、多くの方々の支援を受け、皆の力でやり遂げた現場です。自分は請負業者の現場代理人と言う立場で一応現場を取り仕切っていましたが、結局関係者間の橋渡しをしながら口出ししていただけですので、まあ大したことはやっていません。本当に皆様に感謝です。

 それにしても、我々の組織は全国移動がありますので、5年の間に大分関係者も代わりました。
 志半ばにして札幌に異動されたT副部長様や、松江に異動されたMデスク様とも、一緒にこの感動を味わいたかったですね。
 まあまだまだ旧栗山村地区には難視聴が残っていますので、彼らにはすべたが終わった時にでも”現地視察と称して”宇都宮までお越しいただき、盛大な打ち上げをやりたいですね。
 自分も川俣地区の余韻に浸る間もなく、次は黒部・若間地区に取りかかることになります。。。

事務所を移転します2013年11月29日 23:27



 難視解消の業務の進捗が捗々しくなく、先月あたりからまたまた管理要員が増えており、本格的に事務所が手狭になっていました。
 以前から狭い狭いと騒いでいたのですが、本当にどうしようもなくなり、遂に事務所を移転する事になりました。
 物件自体は大分前から探していたのですが、なかなか適当な物件が見つからず、忙しさに紛れて放置状態でしたが、最近ようやくそれっぽいところが見つかり、所長以下、皆でいろいろと下準備をし、遂に明日引っ越しです。

 これまでの事務所は、主要取引先のすぐ目の前でしたので、便利は便利で、しかも入居した時は新築だったので、それなりに良かったのですが、何しろ床面積が狭くどうしようもなかったですね。
 とまあ文句ばかり言うようですが、今日までの約3年と9カ月の間、それなりにお世話にもなりました。何回寝泊まりして半徹作業をやった事か・・・。
 また、個人的にも非常に思い入れのある事務所ではありました。短い間に色々とありましたが、今は良い想い出だけが残っています。

 と言う事で明日から心機一転、新事務所です。
 場所は主要取引先とは少し離れて、ちょっぴり不便になりますが、床面積は今までに比べて4倍以上になるようですし、駐車場も敷地内に6台は行けるようです。  もっとも、3階建てのビルを1棟丸ごと借り受け、1階は倉庫兼資材置場、2階が事務室、3階が打合せ・会議室となりますので、事務スペースが劇的に広くなるわけではありません。
 それでも多少はゆったりとしそうですし、物置も広くなりますので、現場至上主義の私と致しましては喜ばしい限りです。
 駐車場に関しては、欲を言えばもっと広く10台以上のスペースがあるのが理想でした。
 というのも現状で社用車が4台もありますし、来客用のスペースを考えると、通勤用に使っている個人の車を置くスペースがありません。
 仕方ないのでまた近くに駐車場を借りる事にしないと、、、手間だなぁ~~

 それにしても明日引っ越しだと言うのに、工期の迫っている現場が6つもあるので、書類提出の〆切が本当に間に合いません。今月末で売り上げ処理をしなければならないモノもあると言うのに、未だ仕様変更願も作っていなければ、変更後の積算も出来ていません。
 正直言って引っ越しなんかやっている場合ではないのですが、、、
 もちろん、こんなブログを書いている場合でも無いんですけどね。
 相変わらず地獄の日々は続くものです。。。

台風の爪痕2013年10月17日 23:28



 季節外れに関東地方を襲った台風26号ですが、あちこちに大きな傷跡を残して行きました。
 伊豆大島の大規模災害は何をかいわんや、多くの死者・行方不明者を出して、今でも捜索活動が続いています。
 お亡くなりになった方のご冥福をお祈りするとともに、被災された方々に心からのお見舞いを申し上げます。

 さて、私の身近なところでも台風の被害が出ておりまして、なんと我が家に設置してあるBSアンテナが強風で向きが変わってしまい、衛星放送が受信不能になってしまいました。こりゃ週末にでも直さねば!
 それと仕事上では、案の定県内の共同受信施設にそれなりのダメージを与えたようで、いくつかの共聴組合から、『朝からテレビが映らない。』と言う申告が寄せられました。
 今回は特に塩谷町方面からの申告が多かったです。熊の草、上寺島、東房、飯岡、芦場新田、高原と、塩谷町ばかり6地区もやられました。

 とにかく協力業者様総動員で、何とか今日中に復旧しましたが、高原地区までは手が回らず、自分も職場の仲間と一緒に参戦してきました。
 結局仮復旧したのは、日もとっぷりと暮れた午後7時30分。月例13の月明かりが煌々と眩しく、懐中電灯がなくても普通に夜道を歩けたのは、いかにも田舎を実感した出来事でした。

 さてさて、明日は台風一過で澄んだ空気の下、紅葉の写真でも撮りに行きたいものです。

一般職の内示日でした2013年07月17日 22:06



 今日7月17日は我が社の親会社の一般職定期人事異動の内示日でした。
 わざわざ”一般職”と言ったのは、実は管理職の異動は、約1か月前の6月14日に終わっているのです(内示は6月1日でした)。
 それと言うのも、親会社は組織が大きいものですから、管理職の異動と一般職の異動時期がずれているのです。

 それはともかく今日の内示で、私と関わりの深い技術系の職員では、K氏とO氏が異動となりました。
 K氏は宇都宮に5年間、単身赴任で在籍され、このたびめでたく東京にご栄転されることとなりました(技術局付でDPAに出向されるそうです)
 O氏は宇都宮に4年間在籍され、本人の希望する制作系のニュースにご栄転されることとなりました。

 K氏とは良く受信点調査で一緒に山登りをしましたね。足利や佐野の山に登りまくったことが昨日のように思い出されます。
 また、歳が近いせいもあり、考え方や話のネタが結構合うことが多く、ずいぶん楽しく仕事をさせていただきました。
 おととしに奥様が大きな病気になり、毎週のように横浜の自宅に帰られて、非常にご苦労されたようですが、このたび自宅から通えるところに異動となり、本人もご家族も、非常に安心したことでしょう(今では奥様もかなり快復されたようですが)。

 O氏とは仕事上ではそれなりに関わりがあったのですが、それ以外ではいくら私が誘おうとも、ただの一度も付き合ってもらったことがありませんでしたね。
 これはどうやら自分が嫌われているせいではなく、誰から誘われても飲みに行ったりはしなかったようで、一人の世界が好きがとか、どうやらそういう事情があったようです。
 ま、歳も10コ以上違いますし、話のネタの合わないかもしれないし、逆に説教臭くなってしまう恐れが多分にあったため、そういう意味で避けられていたと言えなくもないですが・・・
 

 と言うことで2人出ていくわけですが、代わりの要員は2名ではなく1名しか来ないらしいです。
 技術系の職員を減らすというのは、どうやら全国的な話のようで、宇都宮管内については今年度はまだまだ難視地区への対応や新サテの開局など、人を減らしている場合では無いはずなんですけど・・・
 しかも、先の管理職異動でS氏もわずか2年の在任期間で帯広へ転出されてしまっているので、これで宇都宮の受信系の技術職は、去年来たM氏だけになってしまいました。

 去年来たM氏だけ残るっていうのも可哀想ですが、事務スタッフのKさんが一番大変かもしれません。
 スタジオでやった全体送別会の時、イベントの花束贈呈係で出てゆくK氏に渡していましたが、どこからともなく涙があふれてしまっていましたね。『急に寂しくなっちゃいました~』とおっしゃっていましたが。
 ま、Kさんを助けるわけではありませんが、自分も自分の役割を果たして、なんとか協力していこうと思っています。とにかく残された人間のみで、頑張るしかありません。
 ご栄転される皆様には、後顧の憂い無く、新天地で頑張っていただきたいと願うばかりです。。。

湯元も遂に地デジ導入です!!2013年07月08日 23:50

ヒオドシチョウ

【ネタとは関係の無いヒオドシチョウ】


 本日、遂に日光湯元にも地上デジタル放送のサービスが始まりました。
 苦節4年間、受信点調査から始まり環境省や土木事務所、東京電力との調整や協議を繰り返し、ついにここまでこぎ着けました。
 地元のテレビ組合や自治会から非常に感謝されましたが、何をか言わんや、感謝するのは私の方で、関係者の皆々様に深く感謝を申し上げます。

 湯元はこれまで、受信点を見つけるのに非常に苦労しました。
 初めの頃は東京タワーしか受信できる見込みが無く、湯元周辺の名も無き山々を登って受信状況調査をしていましたが、どう頑張っても受信できなかったり、受信できたとしても、『こんな所にどうやってアンテナ設備を建てるんだ?』的な・・・
 そうこうしている内に2010年10月に中禅寺湖南岸の狸山(むじなやま)にテレビ中継局が出来て、湯の湖畔でそこが何とか受信できるようになり、環境省との協議の末、国立公園第2種特別地域内に用地を借りてアンテナ設備を設置できる事となり、東京電力の電柱を借りて何とか今日に至りました。

 それはともかく冒頭のヒオドシチョウの写真は、受信点工事に立ち会っているときに、アンテナのすぐ近くのミズナラの樹液に来ていたものを撮影したものです。
 ヒオドシチョウは漢字で書くと”緋縅蝶”。
 緋(ひ)は、あか、あけ、鮮やかな赤色。赤い鯉のぼりを緋鯉と言いますね。
 縅(おどし)は、鎧(よろい)の札(さね)を革や糸で結び合わせること。また、その革や糸。
 つまり鮮やかな赤色糸のチョウ、ということですね。分類上は鱗翅目タテハチョウ科に属します。
 タテハチョウ類は羽根に毛がふさふさ生えているのも特徴で、まさに”縅”と言う表現がピッタリ当てはまると思います。
 大昔に命名した人のセンスのよさが伺えますね。

 ところでそんなヒオドシチョウですが、羽根の裏側は地味~~~な枯れ葉模様で、一見して、こんなに鮮やかな色をしているとは思えません。

ヒオドシチョウ
【ヒオドシチョウの裏模様】

 タテハチョウ類は全般的に、表はキレイで裏は地味、と言った感じです。
 似たような蝶では、ルリタテハやキベリタテハもそうですし、かの国蝶オオムラサキも裏側は白っぽくのっぺりとした模様ですしね。
 裏と表のギャップの大きさも、また面白みの一つではあります。
 とにかく、地デジ導入も嬉しかったのですが、キレイなヒオドシチョウにも出会えて二重に嬉しい一日でした。